「源氏物語」匂宮の巻・十九歳の薫の君・帝(今上天皇)や后(秋好中宮)に大切にされる・大炊御門宗氏・自筆・茶道具13A


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令和6年から「源氏物語」の作者・紫式部をモデルにしたNHK大河ドラマ「光る君へ」が放送されております。

京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「匂宮(におうのみや)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。

原文は「源氏物語・匂宮の巻」として美しく描かれている

自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。 大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。


 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。

 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。


 出品した「源氏物語」は匂宮(におうのみや)の内容の要旨
「匂宮の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第42帖。光源氏なき後の子孫とその縁者の後日談を書く。巻名は本文の「世人は匂ふ兵部卿、薫る中将と聞きにくく言ひつづけて」に因む。本来の題は「匂兵部卿(におうひょうぶきょう)」で、「匂宮」は略称。匂宮は元服して兵部卿となり、紫の上の二条院を里邸としている。夕霧は匂宮を婿にと望みもするが、自由な恋愛を好む当人にはその気がない。その夕霧は、落葉の宮を六条院の冬の町に迎え、三条殿に住まう雲居の雁のもとと一日交代に月に十五日ずつ律儀に通っている。六条院は、今は明石の中宮の子たちの大半が住んでいる。夏の町に住んでいた花散里は二条院の東の院へ、女三宮は三条宮へそれぞれ移っている。一方薫は、冷泉院と秋好中宮に殊更に可愛がられ育てられ、元服後は官位の昇進もめざましい。しかし、漠然ながら自分の出生に疑念を感じていた薫は、人生を味気なく思い、悶々と出家の志を抱え過ごしていた。不思議なことに、薫の体には生まれつき仏の身にあるといわれる芳香が備わっていた。匂宮は対抗心から薫物(たきもの)に心を砕き、このため二人は世間から「匂ふ兵部卿、薫る中将」と呼ばれる。薫20歳の正月、夕霧は六条院で賭弓(のりゆみ)の還饗(かえりあるじ)を催した。匂宮はもちろん、薫も出席し、華やかな宴となる。


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)

「匂宮(におうのみや)」自筆原本の上部には、原本自筆上部に匂宮(におうのみや)」には、「春帰留不得紫藤花下着漸黄昏」《花帰りて留(とど)め得ざるを紫藤の花下(かか)漸(ようや)く黄昏(こうこん)》という漢文の篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「帰りゆく春を留めることはできない。紫の藤の花のもと、次第に深まるたそがれ」である。「匂宮」の巻の原文には「春の花の盛りには、けに長からぬにしも、おほえまさるものとならん」と記されております。解読すると「春の花の盛りには、いかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされるというものである」となる。源氏の君をとりまく人々、特に六条院の紫の上の面影をおりにつけ思いだしている。特に源氏の君と女三の宮の子・薫の君は紫の上の面影をいつも心の底に刻みこまれている。篆書印の詩文は、この原文と白楽天の心情を重ね合わせたものと推定される。特に紫の藤の花を篆書の中に入れているのは、白楽天の詩文をよく読みこんでいることがわかる。紫式部が「匂宮」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかるし、篆書印を押捺した人も白楽天の漢詩に精通していたことを伺い知ることができる。詳細な理由は下記説明欄に記載 (自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」匂宮(におうのみや)の巻》
「匂宮」の巻は英文で「His Perfumed Highness」と表記されます。
《自筆上部の「匂宮(におうのみや)」自筆原本の上部には、「春帰留不得紫藤花下着漸黄昏」《花帰りて留(とど)め得ざるを紫藤の花下(かか)漸(ようや)く黄昏(こうこん)》という篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「春の花の盛りには、いかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされる」というものである。 この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。》

「額縁入自筆原本」

(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

「自筆原本」

自筆右下2つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。

自筆上部の「春帰留不得紫藤花下着漸黄昏」《花帰りて留(とど)め得ざるを紫藤の花下(かか)漸(ようや)く黄昏(こうこん)》という篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「春の花の盛りには、いかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされる」というものである。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。


《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。


《「源氏物語」匂宮(におうのみや)の巻》
《「春帰留不得紫藤花下着漸黄昏」《花帰りて留め得ざるを紫藤の花下(かか)漸(ようや)く黄昏》という篆書印が押捺されている。言葉の意味は「春の花の盛りには、いかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされる」というものである。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。》

《やむことなきよ》・・・・りも、内侍のすけはら(腹)の
六の君とか、いとすくれておかしけに、心はへなとも
たらひてお(生)ひ出給ふを、よ(世)のおほえのおとしめ
さまなるへきしも、かくあたらしきを、心くるしうおほして、
一条宮の、さるあつかひくさも(持)たま(給)へらて、
さうさうしきに、むか(迎)へとりて、奉り給へり。
「わさとはなくて、この人々にみ(見)せそめては、
かなら(必)す心とゝめ給ひてん。人のありさま(有様)を
もし(知)る人は、ことにこそあるへけれ」なとおほ(思)して、
いといつくしくはもてなし給はす、いま(今)めかしく
おかしきやうに、物このみ(好)せさせて、人の心つけ
むたよりおほ(多)くつく(作)りなし・・・・・《たま(給)ふ。》


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。


《「源氏物語」匂宮(におうのみや)の巻》

《薫の君の御元服・右近中将に昇進》
《冷泉帝と秋好中宮・薫の君を大切にし急ぎ昇進させる》
《十九歳の薫の君・実父を柏木と知り悲哀と鑑賞にひたる》
《匂う中将(今上帝の皇子・匂宮、薫る中将と並び称される》
《十九歳の薫の君・帝(今上天皇)や后(秋好中宮)に大切にされる》

《当世、この中将の君(薫の君)や三の宮(今上帝の皇子・匂宮)を
おいて世間に肩を並べられそうな人を探し出すことはとても
できまいと、苦慮していらっしゃる。れっきとした北の方の
女君(夕霧の正室・雲井雁)たちの》・・・・・・姫君よりも、
典侍腹(藤典侍)の六の君(夕霧の娘)とかおっしゃって、
ご器量もほんとにすぐれて美しく、気だてなども何不足なく
成長なさったお方が、世間では軽く思われているらしい。
だがかえってこうもすぐれた娘なのにと、いたわしく
お思いになるところから、大臣(夕霧)は、一条宮(落葉の宮)が
そうしたお世話をなさる御子がおありでなく、物足りなく
思っていらっしゃったので、そこへ迎え取ってさしあげられた。
(夕霧)「表立ってということでなく、この方々に一度でも
お目にかけたら、きっとお心をお寄せになるだろう。
女のよしあしをも判別できる人なら、特に目をおつけになるにちがいない」
などとお考えになって、大臣(夕霧)はあまりきびしい
お扱いはなさらず、当世向きに趣向し、風流好みの暮しをさせて、
若い男の気をひくような機会が多いようにお仕向け・・・・・《になる。》

備考・「源氏の君」は、准太上天皇であったため、薫の君は、源氏の君の子として皇子(みこ)と同じ扱いになる。

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。




(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。


《His Perfumed Highness(匂宮)》
His sixth daughter, a grandchild of Koremitsu,
was more beautiful than any of Kumoinokari's daughters,
and she had outdistanced them too
in the polite accomplishments.
He was determined to make up for the fact
that the world seemed to look down upon her
because of her mother, and so he had made her the ward
of the Second Princess, Kashiwagi's widow,
lonely and bored with no children of her own.
A casual hint to Niou or Kaoru was not likely to go unnoticed,
he thought―for she was a young lady of remarkable endowments.
He had chosen not to keep her behind the deepest
of curtains, but had encouraged her to maintain a bright
and lively salon, …《echoes of which were certain to reach
the ear of an alert young gentleman.》


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)



(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。


《匂皇子(匂宮)》
大后性情也很淑,可十全无缺。
只因母出身低微,世人不甚重。
埋没了般美,夕得十分可怜。
一条院的落叶公主膝下没有子女,生涯感寂寞,
夕霧就将六女公子迎一条院,
叫做了落叶公主的女。
他想:“找个自然的机会,装作无意模,
教薰中将和匂兵部卿王看看个女儿,
定会使他留神注目。
个人都善于女人姿色,必然会。”
于是六女公子不采用格的教育,
却教学髦,培趣味,度送流生活,
以期多多地惹青年男子的心目。


中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)


「匂宮の巻」原本の末尾(原本番号15-A)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印

左の写真が「源氏物語」匂宮の巻の末尾(原本番号15-A)の押印。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。
左上の篆書体は、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という篆書印の内容です。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。



(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。筆者は近衛関白政家公。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。上下2段の花押のうち、上の印は。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」


(出品した自筆の「断層画像写真」(匂宮の巻)MRI 42―13A
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款


「源氏物語」「国宝・囲碁をする今上帝と薫の君」の資料

下記写真は、囲碁をする今上帝(今上天皇)と薫の君。右端の上が今上帝(今上天皇)、右下が薫の君。左は天皇お付の女房たち


上記絵巻は、囲碁を楽しむ今上天皇と薫の君。




「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」



1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。



大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴) 大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。

漢詩文 《「春帰留不得紫藤花下着漸黄昏」《花帰りて留(とど)め得ざるを紫藤の花下(かか)漸(ようや)く黄昏(こうこん)》という篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「春の花の盛りには、いかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされる」というものである。紫式部が「匂宮」を書くに際し、「白楽天・漢詩集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「匂宮の巻」を書いていることがわかります。この原詩の言葉の引用は、「匂宮の巻」に用いられていることで広く知られている。紫式部がこの原詩に親しんでいたことがわかる。

漢詩の落款の意味 原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。  特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。  「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。 「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。  落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
《「春帰留不得紫藤花下着漸黄昏」《花帰りて留(とど)め得ざるを紫藤の花下(かか)漸(ようや)く黄昏(こうこん)》という篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「春の花の盛りには、いかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされる」というものである。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。


自筆の希少価値について 自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。

断層(MRI)写真 従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。

寸法 「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。額縁は新品です。

「源氏物語」の自筆について 1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。 承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP 近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。 出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。

ツイッター「源氏物語の世界」 も合わせてご覧ください。


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问题做任何承诺,也无法针对此类情况提供后续的处理方案,如果发现有商品遗漏在仓库则都会向您补寄,请在知晓此风险的基础上决定您的购买意向。

7. 商品是正品吗?
由于Mercari, 雅虎日拍,骏河屋的商品,均为个人卖家出售的二手物品,HOYOYO无法为您保证商品品相以及是否是正品。
8. 什么是合单?
代购不同日本网站的商品,到达HOYOYO日本仓库后,您可以在“物流管理”页面选择合单,HOYOYO帮您合单成一个包裹,节省运费。
9. 能退款退货吗?

由于Mercari,雅虎日拍,骏河屋等网站商品,均为个人卖家出售的二手物品,HOYOYO无法为您提供退款退货服务。

为了维护您的自身权益,请购买前仔细确认商品信息。

10. 日本卖家什么时候发货呢?
日本卖家发货时间以及物流速度通常比国内慢,因此没有具体的发货时问标准。通常情况下发货时间为3~7天,还建议您耐心等待。卖家超过2周未发货的情况下,建议您联系hoyoyo客服进行咨询。
11. 订单为什么长时间没有帮我拍下?

人工订单处理时间为9:00~21:00(北京时间),晚间订单将于次日上午依次处理。

部分商品需要和卖家商议,收到卖家回复后才能为您处理,请您耐心等待。

12. 为什么部分商品显示“暂不支持”无法购买?
为了保障您的权益,HOYOYO对部分已知的不诚信卖家或无法进行国际发货的商品进行了屏蔽。此外,对于部分违禁品、禁运品、易碎品等也会显示为“暂不支持”。
13. 如何使用HOYOYO代拍雅虎日拍?

雅虎拍卖平台的商品以竞拍的形式进行售卖,通常具有【一口价】和【出价竞拍】两种购买方式。

您可以直接以全款购买的方式直接竞拍【一口价】的商品,

也可以通过竞拍的形式来参与【出价竞拍】,竞拍时间内价高者得

更多雅虎日拍使用详情请参考: https://my.hoyoyo.com/help~index~id~67~l~zh-cn.html

14. 代拍手续费如下:

客户订单付款需要缴纳300日元银行手续费,极少货物价值极高的商品会高于300日元,此类物品的银行手续费会按实际情况收取。成功与卖家交易后才会产生手续费(如同一天在同一个卖家购买多样商品,仅收取一次银行手续费)

PS:HOYOYO为您采购成功才会产生银行手续费,没有成功不收取手续费。

hoyoyo经常会有活动减免银行手续费(留意网站公告)


15. 竞拍失败了会退款吗?
如果您预设的价格被超过,HOYOYO将会通过站内信和邮件提醒您,您可以在代购订单中选择加价或者取消订单。
16. 日本国内运费怎么收?

Mercari:日本国内运费通常为0日元,由煤炉卖家承担。如果个别卖家注明由买家承担日本国内运费,则需要商品入库后支付运费补差

Fril:日本国内运费通常为0日元,由Fril卖家承担。如果个别卖家注明由买家承担日本国内运费,则需要商品入库后支付运费补差

雅虎商城/乐天商城:商品由日本各地不同的卖家出品,发送到HOYOYO大阪仓库的运费也不尽相同。除去卖家承担的包邮商品外,通常会根据商品大小和卖家发货地的距离收取175-5000日元不等的日本国内运费。日本国内运费需要商品入库后支付运费补差

河屋:同店铺日本本地运费运费参考(不同店铺分开计算)

  • 骏河屋总店:
  • <1000 JPY : 680 JPY
  • 1000~1500 JPY : 625 JPY
  • 1500~5000 JPY : 240 JPY
  • 5000JPY以上免卖家运费
  • 骏河屋其他店铺: 一律580JPY
17. 出价之后可以取消吗?
雅虎日拍的竞拍商品,出价之后是无法主动取消的,请出价前确认商品信息以及出价金额是否正确哦。
18. 得标后能退款退货吗?
雅虎日拍的商品得标后是无法进行弃标或者退货的,为了维护您的自身权益,请购买前仔细确认商品信息。
19. 得标的订单为什么长时间没有帮我拍下?
雅虎所有的商品(包括一口价和竞拍商品) 均为系统即时自动下标。得标后的商品我们将人工联系卖家,得到卖家的在库确认后才能付款处理。
20. 其他网站代购问题?
其他网站代购流程可参考以下教学链接: